建築家ホルヘ・アルマザンさん寄稿
東京の都市デザインを成功と評価できるか、それとも失敗と評価すべきか?
私が東京に住み始めた20年前、この都市をどう評価すべきか、自問していた。ヨーロッパで建築を学んだ私にとって、東京は、それまで抱いていた都市のあり方や機能に関する先入観を根底から覆す存在だった。
この都市は、現在も続く絶え間ない変容の渦中にあった。2003年の六本木ヒルズの開業は、かつてない再開発の波を巻き起こし、その後も渋谷駅周辺の再開発や数々のタワーマンション建設など、東京各地で大規模な再開発が相次いだ。
その過程で、既存の地域は急速に解体され、歴史ある商店街や伝統的な街並みが姿を消し、超高層ビルへと置き換えられていった。制御不能な経済の力に突き動かされ、絶えず変貌(へんぼう)を遂げるこの巨大で複雑な都市を、果たして評価することなどできるのか。まだ若かった私は、その問いに意味はないのではないかと諦めてしまった。
しかし、東京で20年間生活し、研究を重ねた結果、当初の私の問いは初々しかったかもしれないが、的を射た問いだったと認識するに至った。どんなに複雑な大都市であっても、突き詰めれば、それは幾多もの大小様々な、人間の選択の産物に他ならない。それならば、私たちは都市を評価し、さらには「リデザイン」(再設計)することに挑戦すべきではないだろうか?
今や世界中の都市計画家たちは同じ結論に達しつつあり、ニューヨーク、パリ、バルセロナでは、気候変動やより健康的な都市環境への需要の高まりに応えるべく、野心的な変革に取り組んでいる。東京も同じような課題に直面している――しかし、この巨大な都市は、自らのリデザインを成功させることはできるだろうか。
戦後の復興支えた「創発的アーバニズム」
東京に対する変革を提案する前に、まずはその強みと弱みを理解することが重要だ。東京の鉄道網と主要駅周辺の活気ある商業地区は、世界が認める東京の利便性と活力に大きく寄与している価値ある資産である。一方で、あまり目立たない様々な要素も、東京の住みやすさに貢献している。東京は広大かつ密集した都市でありながら、ヒューマンスケールの身近に感じられる町並みや親密な都市空間が数多く存在し、多くの場合、それらは大きな駅や幹線道路から離れた場所にひっそりとたたずんでいる。
拙著『東京の創発的アーバニズム』(学芸出版社)は、このような東京の隠れた特徴を読み解くことに焦点を当てている。同書では、東京が独自の「創発的アーバニズム」、すなわち、横丁や低層密集地域に見られるように、市民のボトムアップによる有機的な発展がどのように展開してきたのかを明らかにしている。そこでは個人や地元の小規模事業者が、大規模な計画や巨大企業の利害によって排除されることなく、自分たちの環境を形成するうえで実際に力を持っている。
このような力関係の根底には、東京都が戦後、深刻な資金不足のために復興基本計画を実行できなかったことがある。多くの地域社会は、自力で復興することを余儀なくされた。このような市民主導の小規模な街づくりが、今日の東京の大部分を形成している。東京の未来に対するいかなる提案も、この創発的アーバニズムを維持・強化するだけでなく、その最も優れた点から得た学びを生かした都市景観を構想すべきである。
しかし、東京のすべてにこのような街づくりが反映されているわけではない。大きな幹線道路、歴史的な河川上の高架高速道路、そして歴代の官僚たちが強制的に実施してきた無味乾燥な巨大プロジェクトには、有機的な発展を遂げたこの都市ならではの親密性と適応力が欠けている。こうした公的介入の多くは、環境の質や社会的福利に対する長期的な影響よりも、経済生産性を上げるための短期的なアプローチを最優先しており、時の試練に耐えられるものではなかった。
このような近視眼的な意思決定は、自動車中心の都市計画と企業主導の大規模開発という、特に悪影響を及ぼす二つの施策によって推進されてきた。もちろん、自動車や企業プロジェクトはあらゆるグローバル都市に存在する。しかし、東京をより良くリデザインするためには、それらを野放しにした結果、いかに東京の都市構造に悪影響を与えたかを批判的に再評価する必要がある。
自動車中心の都市計画と大規模再開発
1960年代、世界中で自動車中心の都市計画に移行していったが、東京も例外ではなかった。20世紀半ばの東京では更なる道路整備が必要だったが、当時のインフラ設計は、歩行者のニーズを犠牲にして、極限まで自動車交通を優先させた。その結果、広い高速の道路網が整備され、歩行者は不便な歩道橋を渡らなければならなくなった。
この問題は60年経った今も…